「幻想工房」の雑記帳。 管理人の頽廃的でデカダンな日々を赤裸々全裸に記録
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「歴史群像 No80」ほぼ読了
2007-01-31 Wed 13:09
「歴史群像 No80」(学研) ほぼ読了
rekigun80
読み応え満点 もう少し、時間があれば・・・

「米兵たちの硫黄島」
「誤算と失策の関ヶ原」-"想定外"に終わった天下分け目の戦い-
「真実のアルマダ海戦」-北大西洋の波濤に破れた「無敵艦隊」- 他6編をレビュー
「米兵たちの硫黄島」
リスクの高い中国からの日本本土爆撃に代わって、"絶対国防圏"マリアナ諸島からの戦略爆撃を試みる米軍B29。このマリアナ諸島と日本本土のちょうど中間地点に位置するのが硫黄島。日本軍は本土を爆撃から守るため、米軍は爆撃機の緊急着陸地を確保するため。日米必争の地となった硫黄島で繰り広げられた太平洋戦争史上特筆に値する激戦を米兵、特にその尖兵となった海兵隊の視点から記されている。
今更言うまでもないことだが、栗林中将以下、硫黄島の日本軍が示した敢闘精神は素晴らしい物があった。継戦と持久によって米軍に遅滞と損耗を強いる戦術の妙もあっただろうが、ここまで戦い抜けたのは彼らに同胞を守ろうとする強い気持ちがあったからだろう。当時の日本軍の体質云々は脇に置いておくとしてだけど。そして、対する米海兵隊も独自のBrotherhood(兄弟愛)に支えられ、全く劣らぬ敢闘精神で20000名以上の犠牲を払いながら硫黄島を占領し、のべ20000名以上の爆撃機搭乗員の安全を確保したことになる。
同じく本号に収められた「アメリカ海兵隊」-忠勇無比を誇る合衆国の尖兵-と合わせて読めるので非常に興味深かった。

「誤算と失策の関ヶ原」-"想定外"に終わった天下分け目の戦い-
日本人は何事にも「理由」を求めたがる。成功者には成功者にふさわしい、何らかの理由があるはずだ、と。織田信長にしろ、豊臣秀吉にしろ彼らを題材にとった伝記などのほとんど出版物では、彼らの一挙手一投足までも彼らの"成功の秘訣"として論理的に理由づけられている。が、果たしてそうなのか。彼らだって人間だ。計算違いもするし、失策も犯している。
では、なぜ彼らが成功者となり得たのか。職業柄よく質問を受けるのだが、「とてつもなく運が良かったから」と答える様にしている。別に彼らを扱き下ろしているわけではない。他に説明の仕様がないし、「運も実力の内」の箴言通り、彼らが運を呼び込むために長い苦闘を経て、相応の実力を得ているのは間違いないのだから。
閑話休題。いずれにしろ、信長・秀吉についで天下人になった家康についてもこういった"神話"がつきまとっている。その集大成とも言えるのがこの関ヶ原の戦いだ。曰く、
 ・上杉討伐は三成一派の蜂起を誘うための謀略だった
 ・江戸での長期滞在は諸大名への調略のためだった
 ・西軍主力部隊を関ヶ原に誘い出して野戦での決戦を強いた
などなど、数限りない。
だが、そのいずれもがこじつけでしかないことを論証している。石田三成を失脚させ、豊臣家筆頭奉行として政務を取り仕切っていた家康がわざわざ各個撃破の好機を逸してまで反対派を糾合させてその一掃を狙うほど冒険主義者だったとは思えない。そもそも、中仙道を進軍していた秀忠隊からして、軍資金不足で中仙道で立ち往生している体たらくで、徳川家に全国規模の軍事行動における兵站計画を立案する能力・ノウハウがあったかどうかさえ疑わしい。そして極めつけは関ヶ原の戦い。家康は明らかに西軍の戦略機動に振り回され、戦術的に不利な戦場で決戦を強いられた。
圧倒的な身代を背景に確保していたはずの政略・戦略上の優位が全て消失し、戦術レベル(とさえ呼べない)小競り合いに一喜一憂し、不確かな内応の約定に自身の命運を託さざるを得なかった家康は、忸怩たる思いで戦況を見守っていたはずだ。
同様に、三成も"将才、吾と異ならざる者"(秀吉の三成評)の真価を発揮し、家康の予測を上回る動きを見せて、圧倒的に不利な戦略上のハンデを克服し、家康を苦境へと追い込んだ。だが、同時に彼も西軍麾下の大名たちを統率に失敗している。そして西軍の足並みが揃わなかったことで、精緻に組み上げた領土掌握型の戦略は完全に崩されてしまった。まさに関ヶ原は両者にとって「誤算の集積」だったのだろう。

「真実のアルマダ海戦」-北大西洋の波濤に破れた「無敵艦隊」-
歴史教科書などの「戦術革命」はだいたい、眉唾ものが多い
 ・日本 長篠の戦いから火力優勢の時代に → 騎馬兵の衰退
 ・西洋 斧槍・黒色火薬銃の登場 → 騎馬兵の衰退
などが特に甚だしい。
長篠の戦い以前に、既に室町時代に入ってからは武士は基本的に下馬戦闘だったし、元来から白兵戦闘はポピュラーな存在ではなかった。また西洋では逆にかなり高性能な銃火器が登場してからも騎兵の優位は消失していなかった。ナポレオンは騎兵を有効活用したことで知られているし、そもそも第一次世界大戦開戦当初までは、騎兵こそが各国陸軍にとって最強の兵科だったのだから。
そういった「戦術革命」の列に、このアルマダ海戦も加えられて然るべきだろう。老いたる大国スペインを、若く清新なイングランドが砲戦重視の新戦術で下す。こういった「神話」は歴史につきものだが、やはり実情は相当異なっていた様だ。スペイン艦隊が軽快なイングランド海軍に翻弄されたのは間違いなかったが、大部分は帰途に荒天・暴風雨による座礁などによって被った損害だった。同様に、勝者のイングランド軍側も長期の対陣で腸チフスを患って死ぬ者が多かったらしい。
そして、歴史の転換点になったとされるこの戦いだが、戦いの後もスペイン艦隊は制海権を保持し続け、後にはアイルランドに陸戦隊を上陸させることに成功している。一方、勝者のイングランドはこの後におこった西インド諸島を巡る戦いで敗退を続けることになる。その後は勃興したネーデルラントの後塵を拝しながらも、クロムウェルらの施策が実って真の意味で世界に冠たる海洋帝国となりえるのは、七年戦争以降のことになる。「大英帝国は一日して成らず」、ということだ。

「独ソ開戦、極秘の図上演習」-転換した赤軍の防衛戦略-
赤軍があらかじめドイツ軍の侵攻を予期し、持久防御でドイツ軍を損耗させることを図上演習の結果から意図していた、としている。確かにソ連の勝利は歴史が証明しているが、そのために流されたソ連国民の血の量が多すぎたのではなかろうか。赤軍兵士を見殺しにした上層部は、攻勢主義者であったパブロフを"ドイツの手先"としてでっちあげ、"捨て石"として処刑している。この辺が、戦争の非情さか。

「ルワンダ内戦」-狂気のジェノサイドはなぜ起きたのか?-
読みながら、「タクティクスオウガ」を思い出していたり。
自然発生的な民族対立が多いのは確かだろうが、同程度に権力者たちが自身の権力を維持するために民族意識を煽った結果起こっている対立もまた相当多いと思えるのだが・・・

「火炎放射器」-劫火を放つ地獄の近接兵器-
読みながら、『パンプキン・シザーズ』の908HTTを思い出s(ry
第一次世界大戦に登場した当時から、既に機構・機能ともに完成形に達していたと言うから、その威力たるは恐るべきものがある。人間を生きたまま焼く、という"非人道的"な兵器だが、そもそも兵器にとって"人道的"という接頭詞にどれだけの意味があるのか、微妙なところだろう。

「栗林忠道の硫黄島防御戦術」-玉砕ハ許サズ!-
浸透戦術に特化した編成、歩兵突撃の援護に重点をおいた火力運用。旧日本軍はまさに「完成された第一次世界大戦型の軍隊」であった。そして、「独断専行」も可とし、「必勝の信念」による断固たる攻勢主義の戦術ドクトリンは甘ったれたアマチュア主義そのものと言っても良いだろう。そして、これに反する持久戦術を麾下に徹底させたのが栗林中将だった。自ら陣地設営を視察し、意見の合わない幕僚は即座に更迭する。部下の名誉と面子を重んじるあまり無責任な作戦立案が罷り通っていた日本陸軍内では異端だが、この徹底した統制主義と、防御戦術と火力運用で米軍に多大な出血を強いたことになる。時代遅れの戦術・装備、アマチュア主義の組織体質など、旧日本軍の中にあって、有終の美を飾った中将もまた、(戦理に則っているとはいえ)「独断専行」を犯しているのが、何とも言えず皮肉だ。

「IV号戦車大研究」-ドイツ装甲部隊を支えた"鋼の軍馬"-
ドイツ機甲師団というと、"パンター"(V号戦車)や"ティーガー"(VI号戦車)といった戦車が有名だが、実際に大戦を通じて最も多く生産されたのはIV号戦車だった。そして、発展余裕が大きかったIV号戦車は、戦前の予想以上に激しくなった対戦車戦闘において主砲を換装することによって戦場の要求に応え続けた。ドイツ機甲師団の健闘は、このIV号戦車の火力プラットフォームとしての汎用性の高さに依るところが大きいだろう。戦争は往々にして事前の予測通りには推移しない。兵器に求められるのは、やはり信頼性と(発展余裕も含めた)汎用性の高さだろう。

「仙石秀久抄伝」-波乱万丈センゴク生き残り人生-
漫画の影響か、最近妙に知名度が上がってきた仙石秀久。
次回作の「信長の野望」で急に能力値(主に統率と知謀)が上昇していたらどうしよう、と思ってしまう。どうでもいい話だが。で、やはりこれといって武功が記録されていない様だ。むしろ、戸次川の敗戦が彼をメジャーにしたと言うべきか・・・ とにかく、一旗駆けの葉武者としてはともかく一軍を率いる将としては実力不足も甚だしい、と言ったところか。こういう人物さえ、九州先遣隊の指揮官や小諸城主に起用せざるを得なかった豊臣家の人材層の薄さの方が気になってしまったり。
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この記事のコメント
>成功者
失敗するのは結構理由がありますけど、成功はいろいろな要素が絡み合った結果、というのも多いいですよね。
信長にとっては、信玄、謙信のような強敵が相次いで死んだのも幸運だったでしょうし。
さすがにこれは生まれた時代が少しずれていたおかげなので、運としかいいようがないですし。

信長にしても秀吉にしても家康にしても、成功する人は、そういう偶然の機会にも恵まれているし、その機会を逃さずに利用することが出来る人なんじなないかと思います。
逆に、機会に恵まれても、それを見過ごしてしまう人は、大概は成功しませんね。
もっとも、機会があったかどうかというのは、後に第三者の視点で見て論じることですから、当事者には非常にわかりにくいし、選択も難しいですが、それだけに、そういう機会を逃さない人は、只者ではないのでしょう。
・・・こける時は盛大にこけますけど^^;
2007-02-01 Thu 07:56 | URL | 南斗 #I4t1ZHtI[ 内容変更]
>>成功の秘訣
そう、「機会を逃さない」ってのが一番ですね。
成功の機械を逃す者はまず、勝利者にはなれません。そして厄介なのは、その「機会」は時代の当事者たちには自覚できないことが多かったところでしょうか。
あと、信玄の様に高いリスクを好まない人物は着実な成功が望める分、リターンも小さくなりますね。信玄の場合は特に、高いリスクを忌避する余り場当たり的・機会主義的な戦略に陥ってしまって、天下争覇に出遅れてしまったのが致命的でしたが。
そういう意味でも、家康は驚異的に「運が良かった」と思います。その運を呼び込むだけの努力・忍耐(信長・秀吉の臣下時代)を重ねてきていて、最後の最後で掴んだ運ですから、本当に彼の粘り勝ちなんですけどね
2007-02-01 Thu 19:45 | URL | オジオン #-[ 内容変更]
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