「幻想工房」の雑記帳。 管理人の頽廃的でデカダンな日々を赤裸々全裸に記録
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本紀一上 光武帝紀第一上 その11
2007-11-17 Sat 02:50
【原 文】
十月、持節北度河、鎮慰州郡、所到部縣、輒見二千石長吏三老官属、下至佐史、考察黜陟、如州牧行部事、輒平遣囚徒、除王莽苛政、復漢官名、吏人喜悦、争持牛酒迎労、進至邯鄲、故趙繆王子林説光武曰、赤眉今在河東、但決水灌之、百萬之衆可使為魚、光武不答、去之眞定、林於是迺詐以卜者王郎為成帝子子輿、十二月、立郎為天子、都邯鄲、遂遣使者降下郡國
【現代語訳】
十月、光武帝は節(天子よりの権限委任のシンボル)を持って黄河を渡って北上し、州郡を鎮撫した。光武帝は到着した各県において、上は二千石の高官(郡太守クラス)から、長吏(県令クラス)、三老(郷官)から下はその補佐官たちに至るまでその治績を審査した。その上で、功績のないものは罷免して有能な者は昇進させ、その(細やかさは)まるで州刺史の仕事ぶりのようであった。つまりは無実の囚人を釈放し、王莽の苛政を除いて、官職名を漢の時代に戻した。役人と民衆たちは喜び、先を争って牛と酒を持ち寄って(光武帝を)歓迎し、その労をねぎらった。
光武帝の軍勢は進んで邯鄲へと至った。
かつての趙繆王(劉元)の子である劉林が光武帝にこのように説いた
「赤眉の連中は今は河東郡にいる。黄河の堤防を決壊させてその一帯を水浸しにしてしまえば、赤眉百万の衆を水攻めにすることも可能でしょう」と。
光武帝は何も答えず、邯鄲を去って真定県へと移った。
劉林はここに至って占い師(卜者)の王郎を成帝(劉驁 前漢11代皇帝)の子である子輿と詐って、十二月に王郎を立てて天子とし、邯鄲を都に定めた。遂に使者を遣わして(周辺の)郡・国を投降させはじめた。
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