「幻想工房」の雑記帳。 管理人の頽廃的でデカダンな日々を赤裸々全裸に記録
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「歴史群像 No83」 読了
2007-05-21 Mon 03:41
「歴史群像 No83」(学研) 読了
rekigun83
レビューは、
「再検証 本土爆撃」-日本にとどめを刺したのはB-29だったのか!?-
「武田信虎」-甲斐の中世を切り裂いた狂気の虎-
「革命闘士 カストロ」-希代の英雄か、孤高の独裁者か-
「九七式中戦車大研究」-快足と発展余裕を具えた独創の歩兵戦車-
「再検証 本土爆撃」-日本にとどめを刺したのはB-29だったのか!?-
圧倒的高々度から、後方の生産都市に爆撃を加え、日本本土を焦土となさしめた米軍の"超空の要塞"(super fortles)B-29。この「戦略爆撃が日本の敗戦を決定づけた」、とする見方があるが、それに対して疑問を呈している。
圧倒的優位を誇っているかに見えるB-29だが、実はかなり悪戦苦闘を強いられている。
まず、爆撃機の基地の問題がある。当初はヒマラヤ越えルートを使用していたが、これは日本軍の勢力圏下にある中国大陸を通過するリスクを負う上に、九州の一部都市までしか爆撃出来ない。太平洋ルートからの爆撃を行うには、点在する島嶼を巡って日本軍との苦しい消耗戦を戦い抜く必要があった。
次に、超高々度からの精密爆撃の難しさが挙げられる。そもそも出撃した全ての爆撃機が爆撃ポイントに到達できる訳ではないし、強烈な乱気流が発生している日本上空からの精密爆撃は容易ではない。爆撃のたびの損害評価で米軍は思う様な戦果を挙げられなかったことに苛立っている。
そして、この爆撃精度を向上させようと低高度からの爆撃を行えば、高射砲・迎撃機からの損害が無視できない。護衛戦闘機をつけたとしても、爆撃作戦は戦闘機の航続距離に掣肘されてしまうことになる。
最後に、米軍が電探機器を駆使した焼夷弾による夜間低空爆撃のセオリーを確立した頃、既に日本は消耗戦によって復元力を飽和させ、事実上継戦能力を喪失していた。日本軍は、前線の船舶・航空機の消耗を埋めようにも、同時に損耗していく兵力を補填するために熟練工が前線に召集されていくので、ますます生産力が低下する悪循環に陥り、継戦能力をすり潰されていった。B-29は日本の敗戦を早めたのかも知れないが、敗戦の決定的理由だとは言えないと思う。
なお、当時の日本軍が個々の技量に頼って効率的な防空システムを構築できていなかった(ドイツは高度な防空システムを構築し、連合国爆撃部隊に甚大な損耗を強いていた)こと、中部地方・関東地方の人口稠密地帯に航空兵器の製造施設を集中させていた、などの誤謬を大いに教訓とすべきである。そういう意味で、当時の日本軍は前線部隊もマチュアであったが、それ以上に戦争を指導する立場にあった政府・軍令部もアマチュアであった。彼らの誤った(あるいは不適切な)戦争指導により、復元力に劣る日本軍は継戦能力をすり潰してしまった。一方、米軍は日本軍ほどではないにしろ多大な損害を被ったものの、それを補える復元力に勝っていた。また、その復元力によって、戦争中に自軍の誤謬を軌道修正する余裕に恵まれていたと言える。つまるところ、戦争の本質はやはり消耗戦でしかないのだ。

「武田信虎」-甲斐の中世を切り裂いた狂気の虎-
戦乱の中、14歳で家督を継いて「戦国武田家」の事実上の開祖となった武田信虎。
息子の信玄によるクーデタで追放されたことから、過小評価する向きもある。だが、それらは後継者であった信玄を正当化するためのものが多く、的外れであると言わざるを得ない。この項でも、
 (1)過度の権力集中 →信玄による統制の方が遥かに強権的
 (2)過度の外征 →信玄時代の方が過酷で、リターンも小さかった
 (3)機会主義的な対外政策 →国内統一が図られてからは一貫している
など、的確な反論を加えており、大いに首肯できる。
むしろ、
 (1)国内統一
 (2)駿河との同盟 
 (3)侵攻軸を信濃に絞る 
などから察するに、後年の信玄率いる武田家が信虎の敷いたレールを全力で突っ走っていったと解釈した方が合理的であり、少なくとも領土拡大にかぎれば信虎の戦略には大きな破綻はなかったと言える。
信虎の戦国大名としての限界はむしろその鼻っ柱の強さ、人当たりの悪さにあった様に思う。信玄没後、勝頼を頼って高遠城に身を寄せた時も、居候としてではなく常に「元当主」として振る舞い、対面した勝頼に阿ることは無かったという。相手に対し下手に出る狡さがあれば、あるいは信虎の評価は違ったものになっていたかも知れない。
また、応仁の乱後の戦国時代の中部地方の大名達を、
 (1)享徳・応仁の乱世代 ・・・伊勢宗瑞・今川氏親ら
 (2)分国自立世代 ・・・武田信虎・今川氏輝・北条氏綱・長尾為景・斎藤道三・織田信秀ら
 (3)英雄世代 ・・・武田信玄・今川義元・北条氏康・上杉謙信・織田信長ら
に類型化し、彼らの果たした歴史的役割の違いについて言及してあったのは非常に興味深かった。多くの日本人が好む「戦国時代の英雄」たちの華々しい活躍は、彼らの父祖がしっかりとした国内基盤を整備していたからこそ、可能だったのである。

「革命闘士 カストロ」-希代の英雄か、孤高の独裁者か-
まさに波瀾万丈
「革命闘士」としての印象が強いが、裕福な富農の子として生まれたこと、戦史マニアだった少年時代など意外なエピソードが紹介されており、大変興味深かった。野球好きで、大学在学中にメジャーリーガー相手に零封した、などは有名なエピソードは知っていたのだが、そちらは紹介されていなかった。バティスタ政権との死闘、盟友ゲバラとの決別などよりも興味を惹いたのは彼のまさに「冒険野郎」な生き方だろうか。欠点も少なくはないが、超大国・アメリカに挑む不屈の冒険野郎に魅せられるキューバ国民が多いのも、まず頷ける話である。
ただ、最も意外であったのは共産主義思想に対するスタンスだろうか。反米的な政治姿勢から共産主義者だと思われがちだが、カストロは共産主義に対して距離を置いている、という指摘はなるほどと感心させられた。共産主義政権の独裁者は往々にして国民に個人崇拝を強いる例が多い。カストロが国民に対し、個人崇拝を強要していないことは有名だが、彼が本質的には共産主義者でないのだとしたら、納得がいく。

「九七式中戦車大研究」-快足と発展余裕を具えた独創の歩兵戦車-
第二次世界大戦での日本の戦車部隊の見せ場といえば、マレー半島侵攻作戦のジョホールバル進撃くらい。それもマチルダIIなど、火力・装甲の卓越する敵機甲部隊がいなかったからこそ、なのだが・・・
シャーマン戦車の装甲を貫徹できぬ貧弱な火力、対戦車戦闘に耐えられない脆弱な装甲。評価の低い九七式に対して、著者はその快速と発展余裕を評価し、「零戦に劣らぬ傑作兵器」と称している。が、本当にそうだったのか、疑問を感じた
九七式は、確かにロールアウト当時の世界各国の主力戦車と比較すれば、トータルバランスで大きく劣る部分は無かったかも知れない。だが、初陣を飾ったハルハ河畔の戦い(ノモンハン事件)で、独ソ戦では「装甲が薄すぎて役に立たなかった」とされるBT戦車にさえ致命的な打撃を与えられず、逆にソ連軍の対戦車ライフルの犠牲になっている。快速は装甲の薄さゆえ(当時の日本の基礎工業力は低く、エンジン出力はかなり小さい)であり、発展余裕があったとはいえやはり敵戦車に対して無力であった事実には変わりがない。「対戦車戦闘を考慮していなかったから仕方ない」などという寝言を、一体誰が聞いてくれるのだろうか。時代の要求に応えられなかった以上、「傑作兵器」とは呼ぶのはおこがましいだろう。また、そもそも零戦自体が過大評価されていることも問題である。確かにロールアウト当時は最強の制空戦闘機であったかもしれないが、太平洋戦争中期からはその弱点を露呈している。出力の低さ、高々度戦闘が不可能、スピード不足、低い耐弾性能、照準機の不具合(命中精度の低さ)など、挙げていけばきりがない。もちろん、零戦自体・九七式自体に罪はないのだが、それらに替わる機動兵器を開発する余力に恵まれなかった日本は、やはり敗れるべくして戦争に敗れたのだ。
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