「幻想工房」の雑記帳。 管理人の頽廃的でデカダンな日々を赤裸々全裸に記録
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「曹操の墓」 その2
2010-01-11 Mon 01:26
議論百出にして百家争鳴状態の「曹操の墓」論争について
いつものごとく、おちゃらけたオジオン流で

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「曹操の墓」について その1
2009-12-29 Tue 02:30
「三国志の英雄・曹操の墓を発見」
大興奮のニュース
・・・だが、断定するにはやや根拠薄弱かな、と
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『諸葛孔明は二人いた 隠されていた三国志の真実』 読了
2009-05-26 Tue 05:15
『諸葛孔明は二人いた 隠されていた三国志の真実(加来耕三・講談社+α文庫)
koumei
何というか・・・
 「ダメな三国志本」の見本の様な書籍
よほどお暇な諸兄にしか、オススメできない(-_-;
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『三国志 赤壁伝説』読了
2009-05-25 Mon 02:55
三国志 赤壁伝説読了(満田剛・白帝社)
red cliff
「赤壁の戦い」をメインに扱った、三国志本
興味深い点もあったが、『三国志 正史と小説の狭間には及ばないか。
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『もう一つの『三國志』―『演義』が語らない異民族との戦い―』(坂口和澄・本の泉社)
2007-10-03 Wed 05:48
『もう一つの『三國志』―『演義』が語らない異民族との戦い―(坂口和澄・本の泉社) 読了
sangokushi barbarian
「三国の興廃如何は異民族の手に握られていた!!」
英雄たちを"異民族"との関わりから読み解く異色の「三國志」本
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『随筆三国志』 読了
2007-06-19 Tue 02:34
『随筆三国志』(花田清輝・講談社文芸文庫)
essay-sangokushi
長らく単体入手が困難であった、「三國志」ファン伝説のアイテム。
なかなか刺激的で興味深い内容 ・・・だが、正直言って評価に困るかも
『随筆三国志』 読了…の続きを読む
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『三国志曼荼羅』 読了
2007-05-30 Wed 05:26
『三国志曼荼羅』(井波律子・岩波現代文庫) 読了
sangokusimandara
井波律子先生による、「三國志」エッセイ
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『三國志人物外伝』 読了
2006-06-19 Mon 09:42
『三國志人物外伝』(坂口和澄・平凡社新書)
sangokusibiography
随分と長引いてしまった。
ここって、発足当初は三國志系サイトだったよなぁ~ とか、思いつつ。

構成としては魏・蜀・呉の人物達のこぼれ話をテーマ別に列挙してある。
一部一部が簡潔にまとまっているので、時間の無いときに少しずつ読み進めることができる。日々多忙を極める諸兄にもお勧めできるし、なかなか内容の方も濃い。
因みに、以下の5点に絞って編集されている。
 (一) 立場上、陳寿が書けなかった事実を炙り出す
 (二) 正史と演義のギャップ
 (三) 諸史家の異説を紹介
 (四) 演義に採用されなかった興味深いエピソードの紹介
 (五) マイナー人物の紹介

ただ、(二)に力入れすぎた所為か、劉備の姦雄的側面を必要以上に強調する結果になってしまっているのがやや残念。昨今、多少でも三國志を囓っている人間で劉備が「良い子ちゃん」じゃないことを知らない人なんていないと思うなぁ~。
むしろ、『蒼天航路』の影響からか、猛威をふるっている「曹操完璧超人説」の方が危険な気がするからなぁ~。(一)を勘案すれば、曹操は明らかに姦雄だから、ってか、それくらい用心深くないと生き残れなかったはずだし。
あと、新書ということで文章量に制限があったようで、オジオンが知っているような人物や興味深いエピソードもかなり削られている印象。こればかりはどうしようもないかな?

とりあえず、個評と行ってみましょうか。相当長くなるけど
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『三國志 正史と小説の狭間』(満田剛・白帝社)  読了
2006-03-03 Fri 03:34
『三國志 正史と小説の狭間』(満田剛・白帝社)  読了
seisi-engi
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三國志考察・趙雲
2006-02-02 Thu 17:23
国士無双(近衛)さんに触発されて、まとめてみる。

(1)「正史」における記述
 恐ろしく記述が少ない。
陳寿の記した『三国志』に記されていることを要約すると、
・趙雲・字は子竜 
・常山・真定県出身
・元は公孫サンの配下。田楷救援に赴いた劉備に随行、主騎(護衛隊長?)となる
・長坂の戦いで奮戦、劉禅を救出する
・その後、劉備の入蜀作戦には随行せず、荊州に赴任
・孫夫人の警護(監視)を任される 孫夫人による「劉禅誘拐」を阻止
・諸葛亮・張飛等と入蜀。成都まで分進合撃
・第一次北伐で勇戦、曹真ら魏の主力部隊の誘因に成功
 (兵力差が大きく、敗退するが見事な退却ぶりを見せる)
・229年逝去、死後姜維の推薦で「順平侯」の諡号を追贈される

以上が『三國志』(いわゆる「正史」)における趙雲に関するほぼ全ての記述である。
『三國演義』(いわゆる「演義」)などでおなじみの「虎威将軍」趙雲の逸話などはほとんど後代の『趙雲別伝』に収められており、演義の作者はこれを参考にしたものと考えられる。

(2)「演義」にみられるような万能武将だったのか?
 演義では、趙雲は完璧な武将である。兵を率いれば水際だった統率力を発揮し、兵力の多寡を逆転するような大活躍を見せてくれる。一騎打ちでも無敵で、おそらく「演義」では最も多くの敵将を討ち取った武将ではないだろうか。また窮地に陥った僚将を救う場面も多く、抜群の安定感を誇り、非常に頼りがいがある。また、呉に赴いた劉備や諸葛亮の護衛を務めそれを完璧にこなしている。物欲・色欲に惑わされることもなく、たしかな大局的な判断力も備えており、主君の逆鱗に触れる覚悟で敢えて諫止する勇気をも持ち合わせている。
 ただ、これは『随唐演義』の薛礼(仁貴)などにも見られる例で、中国の軍記物的大衆小説にはこのような「礼儀正しく、目立った欠点のない武将」が一人くらい登場するのが「お約束」なのかも知れない。
 いずれにしても「演義」の趙雲はほとんど完璧超人で、人間味が感じられない。後漢末最大の英雄と誰もが認める曹操でさえ無謬ではなく、「正史」(魏朝の史料に多く依拠しており、曹操に不利な記録に関してはバイアスが懸かっていてる)の中にも驚くほどの失敗談が見受けられると言うのに・・・

(3)幻の名将・趙雲?
 よく巷で耳にするのが、
「羅貫中(「演義」作者)は自分と同郷の趙雲を贔屓して、美化した」と言う類の話だが、これは批判を超えて中傷に属する事柄だと考える。なぜなら、「演義」が採った「趙雲名将説」はすでに巷間に流布していた『趙雲別伝』に記載されており、羅貫中はそれ
を大々的に取り上げこそしたが、ゼロから創作したとは考えがたいからである。
 また「正史」において趙雲は「関張馬黄趙伝」として、位階においては趙雲を遙かに上回る関羽・張飛らいわゆる「五虎将軍」と同列に取り上げられている似たような功績を挙げた人物を一括りにする傾向がある「正史」において、これも「趙雲名将説」の強力な傍証たりえると考える。また、他の「五虎将軍」たちと同時に諡号が贈られたことからも、すでに三國時代の昔から関羽や張飛に比肩しうる勇将である、と世間一般から認識されていたことの傍証といえるのではないだろうか。(ちなみに劉備の存命中に死去して諡号を贈られたのは法正のみ)

(4)オジオンの趙雲像
 まず、趙雲は生粋の武将で、政治的なセンス(大局観というより、派閥力学など)とは無縁だったと考えられる。「正史」には趙雲が郡・県における政務(民政・軍政)を執ったというような記述は見あたらないし、その様な官職にも就任していない。
 また、『趙雲別伝』を参考にするなら、戦場での武勲も一旗駆けやゲリラ戦・退却戦などで挙げたものが多く、まとまった大軍を指揮した例は皆無である。関羽・張飛や馬超・魏延など一軍の軍団長を任された「将軍」(あるいは軍政家)ではなかったわけである。
 それ以外にも、汝南時代の募兵活動なども含めて考えると・・・
(A)武勇に優れた部隊長
 張飛たちのように巧みに大軍を指揮する才能には恵まれていなかった可能性が高い。その代わり、抜群の武勇を誇っていることが『別伝』の記述からも窺える。得意の戦闘スタイルは少数の精鋭を率いた神出鬼没の不正規戦ではなかったか。
 もちろん、個人的な武芸にも秀でていたはずでこの分野に関してなら、関羽・張飛以上だった可能性もある(むしろ、この面を評価されて、遙かに低い位階ながら「元帥級」の関羽・張飛らに伍する評価を受けていたとも考えられる)。
(B)あくまで生粋の武人
 何度も引き合いに出すが、関羽や張飛は軍人・武人であると同時に政治家である。とくに張飛は娘を皇太子に嫁がせており(関羽の子孫には公主が降嫁している)、立派な外戚であると言える。
 それに対して、趙雲は政治的な影響力は僅少で、あくまで生粋の武人として無派閥的に活動していたのではないか。後年、有力な後援派閥を持たない姜維が劉禅に上奏し、趙雲への諡号追贈を運動したのは、あるいは武人・姜維が「偉大な先輩」として趙雲に共感と敬慕の念を抱いたからではないかと想像できる。
(C)器用な「出来る男」
 汝南時代に兵力不足に悩む劉備のために募兵運動を展開するなど、なかなかに小才が利く。また、戦場での(戦術レベルにおける)とっさの判断力にも優れていたと考えられるので、(政治向きのことはのぞいて)何でも出来る」器用さがあったのではないか。
 北伐退却戦後のエピソードからも、細やかな気遣いの出来る一面が窺える。また、夷陵の戦いの前の劉備に対する諫言から、意外に確かな大局観と実直さが見て取れる。
 何より評価したいのは劉備から孫夫人の護衛(監視)を委ねられている点か。当時、孫夫人は孫権の妹であることを鼻にかけて城下で乱暴狼藉の限りを尽くしており、劉備一党にとってまさに獅子身中の虫だった。が、孫権との同盟関係を重視する戦略上、無碍に扱うことも出来かねる。そういう状況で、護衛(監視)役に抜擢された趙雲は劉備勢力首脳陣からよほど「買われていた」ことになるのではないだろうか。

こんな感じです。
以前、某所に投稿したものを加筆・修正したものです。
今後も、こういう形でボツボツまとめていけると良いな?
(三日坊主の予感

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